極の修行から2ヶ月が経過しました。
「なんつーか人助けしてみたい気分?」の衝撃から2ヶ月…ってもうそれはいいか。

いまあらためて、薬研(※今回はそう呼びます)からのお手紙の内容について考えてみました。
何てったってもう同じ内容3通受け取ってますからね。さすがに1回目に受け取った時の私のメンタルよりは、少しは落ち着いていられるというものです。

刀ミュで、元の主のそばにいたいと願う今剣ちゃんや安定くんを観ているうちに、気付いた事があります。

自分の肉体を得て、自分で『選択』することができたのなら、薬研だって信長さんについていく事を選択する事もできたんじゃあないか?

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「本能寺の変」は6月1日未明です。

その三日前に、薬研は信長さんの背を見送っています。

私が思うに、修行で経過している日数とこちらが待っている96時間は時間の流れが違うように思えます。数日程度のタイムラグなら、薬研は信長さんについていって助ける事は叶わなくても最期を見届ける事もできたはずなのです。
もっといえば、信長という人物は、だいたいの人にとっては「なんかちょっとスゴい人」ですが、薬研にとっては「普通の人」で、私の情報が確かなら、9年もの間「逸話を信じて常に持ち歩いてくれた人」です。
その信長さんが三日後に命を絶つ…ということを、「知っていて見送る」。
どんな気持ちで見送っていたのかは本人ではないとわかりませんが、本丸で彼がいう事を鑑みればそこには悼みが常にあったと思います。

『今の自分にしかできないこと』というのを、本能寺までついて行って、歴史を変えない程度に自分を持ち歩いてくれた主のためにできる事をしてあげる、という選択をすることだってできたと思うのです。メタ的な話になりますが、2通目ですでに「本能寺にいる」とすることも刀ミュ等をみるかぎりストーリー的に齟齬はないように思えます。
でも、彼は一切そうせずに、「そろそろ帰る」と、まだたった1年と10ヶ月しかいない本丸に帰る事を選んでくれるのです。

 

「自分を大切にしてくれた主の最期を見届けることはできたけど、あえてそうしなかった」というのが、薬研の手紙の最大の肝であり、「安土に行って自分にできる事を考えてきた」に対する答えなのかもしれません。

 

この事に気付いた時に、薬研の漢らしさっていうのはこういう部分に根幹があるんじゃないかなと思いました。
言葉にすることはとても難しいです。
とりあえず、2ヶ月前に手紙を受け取った自分の感想読んだら「うん、殴ろう…」だったかな!なにが「メル画っぽくなくてよかった」だ!!まあ、あの頃はメンタルがいっぱいいっぱいだったし、戻ってきたアニキ6号はキャラ変わっちゃってたしでわからなくもないんですけど。

アニキ6号帰還直後の私は、「今までできる事考えてなかったの?」と驚いたのですがそうではなくて、今までだってちゃんと考えていたけどこの修行によって「何が自分にとって一番優先すべき事なのか」を薬研自身が「選ぶ」ことで更に、逸話通りの強さが薬研に宿ったのかな、と。

まったく、6人も育成してて2ヶ月経ってからこの発想に至るとか情けないったらないです/^o^\
「大切なものは目に見えない」っていうけど、ホントにそうなんだなあ…
刀ミュでいまつるちゃんや安定くんを見て、ようやく私の中での答えに辿り着けた気がします。

作品を描く上でも、薬研のこういう一面を踏まえてと思ってますが表現がスゴく難しそう。
でも、表情や台詞などの「表面上のかっこよさ」だけでは薬研のかっこよさは表現しきれないと確信しているのでそこは私が頑張らなくてはと思っています。

そういえば、大袖についているあの白い布はなんなの?っていう疑問も判明しました。

「母衣(ほろ)」という南北朝時代の鎧にあったデザインらしいです。母衣自体は色んなデザインがありますが、薬研の場合は南北朝スタイル。ますますクラシカルなヘリテージに磨きがかかりましたね。意味あんまり分からないで言ってます。そしてその驚きの機能はこちら。

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馬とかに乗って風で布がひらめくと俺が大きく見えるんだぜ!

あ、アニキィィィィ世の中の審神者がいかに自分を細見え(笑)させるかに苦心している中あえての逆を行くなんてその覚悟はダイヤモンドかよ!?

こんなひょうきんな一面も踏まえてこれからも私は薬研乱舞するぞ…と心に決めたのでした。