京都で「相国寺」「御霊神社」、大阪で政長さんのお墓と正覚寺に行ってきました。お付き合いしてくれた妄太郎さんありがとう〜!妄太郎さんとはそれぞれ好きな武将のゆかりの地を一緒に行ったりしてるので、私も高松の屋島とか行きました(^o^)
政長さんを知ったきっかけは勿論アニキですけど、政長さんについて調べれば調べるほど、「畠山政長」という一人の武人のいきざまや彼が生きた室町時代、さらに息子の尚順に受け継がれていく物語が垣間見えるようで、いまでは一番好きな武将です。まだまだ勉強途中ですが…
そして政長さんのことを知る事は、政長さんの死を惜しんで逸話を残したアニキの片鱗を知り、ますます好きになっていくことでもあります。個人的な事ですが、作品を描く上でも重要視しています。
そんなかんじでスタートしたゆかりの地めぐり。
相国寺は、御霊神社からはとても近いのですが…何故こちらを先に訪れたかといえば、政長さんがかっこよく活躍した相国寺合戦の舞台であったからです。刀剣乱舞でいえば4−4「椿寺」のしばらくあとの時系列となります。
応仁記でいえば、ちょうどこのあたりです。
「蓮池合戦、政長武勇の事・その1」
リンク先を参照して頂ければ私が語るより早いですが、とにかくかっこいい…ほかの一次史料ではさらに政長さんのいいエピソードが様々あるそうで、そんな諸々を踏まえてもここは政長さん好きにとってはまさに聖地です。室町時代では、5カ所のお寺が幕府並の権力と財力を持っていて、そのうちの一つがこの相国寺です。
現代の感覚だと、寺はむしろ戦いから回避されてしかるべきでは…と思いますが、当時は僧兵も重要な戦力でしたし、寺と政治は密接な関係にあったのでいやがおうでも戦いに巻き込まれてしまう、そんな時代だったらしい…。じっさい、お寺の階段は場所によっては戦用に造られているところもあったんだとかってぶっちゃけ寺で観ました笑
境内は結構広いです。静かで穏やかな雰囲気。アニキにとっては自分を携えて出陣した政長さんの初勝利の思い出の地になるのかな。
「〜〜院」がいっぱいあるので花京院の亜種みたいに見える病やめたい笑
木の組み方がスゴい…何の建物なのか説明見てもよくわかりませんでしたが/^o^\ あとそばに植えられてる木が南国っぽいですよね。同行した妄太郎さんが「島津が持ち込んだのかな」って予想してた。島津といえば、粟田神社でも島津の名残がありましたよ。
木の根元に彼岸花。
こんなかんじで、静謐でゆったりとした空気が流れています。500年前にはここで何千人もの人たちが戦って亡くなったんだなあ、と思うと不思議な感じがします。
電柱がないから現代の日本っていう雰囲気があんまりないですね。
この先を抜けると、御霊神社が近くにあります。
御霊神社は「上御霊神社」のことです。応仁記では、ちょうどこのあたりから。
義就・政長闘乱の事
先日のアニキ5号の記事でも書きましたが、4−4の直後のできごとです。正直言うとあまり気が進みませんでしたが…結果は、行ってよかったです。
政長さんの名前の近くに来るように撮ったぜ、アニキ。
石碑も建ってるぜ。
アニキ的にはあんまりイイ思い出ではなさそうだけど一緒に写ってもらいました。ごめんねアニキ/^o^\ アニキにとってはもしかして初陣の場所だったかもしれないですね。
追いつめられた政長さんが、京都の自宅に火を放って背水の陣で挑んだ最初の戦いの場所がここです。このとき、乱ちゃんの元主の「細川勝元」に助力をあおぐも、細川勝元は援軍を寄越さず、ただ鏑矢だけを贈った、というエピソードもあります。個人的には「そりゃあないぜ」と思いますが当の政長さんは「勝元どのが激励をくれた」と鼓舞されたというのだからも〜〜〜〜〜政長さん超いい人!!!
鳥居に菊の紋。天皇家ゆかりの神社のようです。
粟田神社のあとにおまいりしましたが、粟田神社と違っていかめしい雰囲気を感じます。ちょっと怖いかんじもしました。
でもこういう可愛い生け花が飾ってあったりする。藤棚もあったので5月頃は藤も綺麗だろうなー。近所にあるケーキ屋さんのケーキおいしかったです。地下鉄の鞍馬口駅の近くだったかな?
応仁記などで読んで想像するだけだった場所に実際行ってみると、その土地の空気が感じられてやっぱりいいですね〜。京都には4年間住んでいましたがこの辺りには行った事がなかったので新鮮でした。
ちなみに、関西遠征中は政長さんのおうちがあったあたりのホテルに泊まって、政長さんも見上げたであろう夜空を露天風呂から見上げてたりしました。
次回は、政長さんのお墓参りと正覚寺です。