
そもそも私、5部の多彩な登場人物のなかでどうしてジョルノとブチャラティなのか・・・と突き詰めて考えてみました。
・ブチャラティを失ったジョルノの傷ついた心があまりにも美しい。
・ジョルノの心ブチャラティ知らず?なのかそんな上で「幸福だった」と伝えて死んでいくブチャラティがぶん投げてくるカタルシスが受け止めきれない。
私はジョルノの方が好きなジョルブの人間なので究極これだな・・・という結論になりました。ああ、そうか、それで私の描く二次創作って大体ブチャラティが死んでるんだ・・・・・
というか、これを今読んでくださっている方に「なんてひどい野郎だ」と思われていないでしょうか?
安心してください、死にっぱなしになっている作品は前世も今も描いたことがありません!!
荒木先生の名言に「ハッピーエンドを踏襲しつつちょっと殺したい」というものがありますが5部でいうならちょっと殺されちゃったのはブチャラティで、残された側がジョルノになります。
私は、ジョルノ本人がまず失わないと「この人は自分にとって特別な人だったんだ」と自覚しないと思うんですよね。
そしてジョルノにとってなにがブチャラティを特別な相手たらしめるのかというと、ブチャラティの「優しさ」がジョルノの思う「仁=希望=幸福」につながるからです。
そしてそんな一生に一度、会えるかどうかわからないような相手を「逃がさないように必死」になって捕まえたのに当の本人はというと・・・
方向性が間違ったやり方で満足して死んでいってしまうのです。
ここであえて「間違った」と言いましたが、もし正解だったらあんな表情ジョルノはしないよ!もっとジャイロを見送るジョニィみたいに納得して送り出したと思う。
ブチャラティも別にジョルノを苦しませようとしてあんなふうになってしまったのではなく、彼は彼で「ジョルノの夢のために死ぬこと」が幸福の要素の一つとしてあったように思います。なおかつ、「ジョルノ自身の幸福は夢を叶えることにある」と信じておりそこに自分は居なくてもいいだろうと思っていたんじゃないでしょうか。
そんなことないのに!!
これがジョルブにしか生み出せないカタルシスなのです。
正直ジョルノにおいてはブチャラティのこと10年と言わず一生引きずっててほしいし、あわよくば奇跡が起こって短い時間でいいから再会してほしい。
それを叶えられるのが二次創作のいいところでつらいところだな。
それぞれの組み合わせでいいところはあるけど、やっぱり私はカタルシスをビシバシに感じさせてくれるジョルブが一番だな!と思いました。この気持ちは二次創作にぶつけていこう。
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