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2週間くらい間が空いてしまった

5月は旅行いってSCC参加して体力戻してゲームしてインテに参加してたりしたら終わっていました。なんということ!

あらためて、28日のインテにてスペースにお越し下さったみなさま、ありがとうございました。
SCCや通販で買って下さった方が多かったのか、新刊がスパコミの5分の1という出方で、少なめに搬入しておいてよかったかも。そんな中、全種買いしていただいたり声かけていただいたり、嬉しい事もありました。
スケブに薬研くんも描かせて頂きましたー

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頼んで下さったのが男性の方だったのでびっくりしました。男性のかたからスケブに男性キャラを頼まれるのはうみねこのウィラード以来です笑
うちの薬研くんに色気を感じるっていうありがたいお言葉を頂戴しました。ありがとうございます!

次回は8月のインテに参加します。新刊、出さないつもりだったけどギャグが描きたくなってきたのでエンドレスヤゲンの新しいのを出すかもしれません。

インテ以外では、天満橋で友達とフクロウかわいいよしたり、南堀江でパクチーをむさぼり食べたりしました。
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ところで、この期間中アニキ7号が修行中でした。

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大将は畠山政長さんのところだよアニキ7号。

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お参りはこれで6回目です。今後とうらぶに関わりがあるのかないのかわからなくても、政長さんは歴史のおもしろさを心で理解させてくれた最初の偉人さんです。行ける限りはお参りに行きたい。

政長さんのお墓は、掃除がちゃんとされてて、お花とお線香をお供えするいつもの感じでした。相変わらずこの場所は落ち着くし、あとお参りするときいつも快晴です。しかし、なんと、前まであった乃木希典さんの碑が何故か撤去されていた・・・・
乃木さんは、「自分の祖先が以前政長さんの部下であった」という理由で、明治時代に荒れ放題だった政長さんのお墓を整備して下さった方です。
ご自身は、明治天皇が御崩御の際に殉死(切腹)されています。どこまでも切腹に縁が…
次にいったら新しい碑が建っているといいのですが。

で、次の日は安土へ・・・・

と行きたい所だったんですが、まさかの、信長の館月曜休館
家族と行く予定だったのですが、結局別の日程をとることになって、私だけ関西にいくことに…そうでした、美術館博物館という施設系は月曜が休みな事が多いのです。

そこで、京都の神社をめぐる事にしました。
行き先は「粟田神社」「建勲神社」「北野天満宮」「大覚寺」。

完全に京の軌跡コースである。一人京都弾丸ツアーのお話はまた後日書きます。

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すごーい!「応仁の乱」がブームになってるんだって!たーのしー!

ニュースウォッチ9見てたらびっくり。なんと、「応仁の乱」がなぜか、どういうわけか、ブームになっているらしいです。

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思わず写真撮っちゃった。うれしくて。
だって政長さんの名前がテレビに出るなんて「花の乱」以来じゃないですか?

売れているのはこの本らしい。
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ベストセラーになってる!すごいすごーい!!

畠山家の内紛のことなども書いて下さっているようなのでこれから政長さんの事が知りたい、という方にはわかりやすい…のかな?
私はどちらかといえば「なぜ政長さんは人生の半分以上を費やしてまで義就と家督争いを繰り広げたのか」の、政長さん自身の心のほうを知りたいと思っています。なので淡々と「こういう事があった」という事実のみを綴っている本はあまり手が出ませんでした。たぶんだいたい知ってる事しか書かれてないと思いますし…
「戦国期の室町幕府」とか「室町幕府の経済」とか「洛中洛外図の世界」などを読んで、当時のひとたちの考え方を学んでみようとしていましたが、やっぱりこれも想像の域を出ないのがつらいところです。
きっかけは勿論、「薬研の元主」だったからですが、政長さんは、私に「日本史ってこんなに楽しいんだ」という事をはじめて心で理解させてくれた歴史上の人物です。なので、思い入れもやっぱりいちばん深いのです。
今年はまだ行けていないけど、またお墓参りにいきたいです。

私が室町が好きな理由って、もう基本的には薬研藤四郎に直結なのですが…

あえていうなら、「美術が抜けててカワイイ」

「素朴絵」ってご存知でしょうか。あれは室町時代発祥の元祖ゆるキャラのような絵です。

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ちなみに、同時代のイタリアではミケランジェロがダビデ像を製作していました。

ほかにも、戦国時代展かなにかで見ましたが、顔は描けているのに体のバランスがなんだかおかしい絵とか、見たらほぼ室町時代で、この「美術が微妙」なところは私の室町いとしいポイントです。

個人的には、「応仁の乱」を中心に室町時代が知りたいならここのサイトを何度も楽しく読むことをおすすめします。管理人さんの一次史料をふまえての知的でわかりやすくかつ楽しい文章とオリジナリティーあるイラストが素敵です。

戦国黎明期 さま(TOPがいま兄者本体ですよ)

このひそかなブームをきっかけに、室町時代がクローズアップされたら嬉しいなー。ヒストリアも室町なんてほぼやってくれなかったからね!というわけで、エネッチケーさん是非お願いします。

あと、是非、「金言和歌集」の現代語版をどなたかが出してくれるととっても嬉しいのですが・・・

室町時代の人々のいわゆる「ツイート」をまとめたような本です。私はサッパリ読めませんでしたが、上記に紹介させて頂いている管理人さんはしっかり読まれたようで(すごい)実に当時の事がわかりやすく記されているようです。表本と裏本があり、これを読めば「明応の政変」の違った視点での新事実が見えてくるとも。ただ、残念ながら私には読めないし、管理人さんも足利尊氏沼に落ちてしまわれているので、真実はいつ判明するのか・・・!?

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ちょっとだけ刀剣乱舞考察:薬研藤四郎の記憶について

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多分あんまりお目にかかる画じゃないと思いますがアニキ6号に続いて、アニキ2号が修行にいって、昨日帰ってきました。
修行前にMAX振り切るレベルでついてた桜による、打撃力や機動は修行に行くとやっぱりリセットされちゃうみたいですね。でも、帰るなり検非違使戦で早速真剣必殺キメてどうだい大将したので、アニキ2号はやっぱりアニキ2号だなって思いました。

で、アニキ2号と一緒に、歌詠集その2も届きました!
最初は「どれがアニキのパートかな?」と思って聴いていましたが、そのうちわかるようになってきて、これは、わからないほうがよかった……

かっこよすぎて!!作業にならない!!!!!!!

かっこよくて強い上に歌までうまいなんてズルいですね。更に花丸の薬研くんは可愛さまで兼ね備えているので、もう生まれた時からトップアイドルでしょうか。
とりあえず、素の声で歌うのをやめてほしい。ガチでアニキ過ぎるので今も流れてますがニヤニヤが止まりません。も〜〜アニキ〜〜〜〜〜〜

全体的に、2話のお話を踏まえての曲なので、信長さんに贈るレクイエムのようなイメージですが、この曲を聴いててふと浮かんだ事があったので書きます。前置きが長くてごめんなさい。

結論から書きます!

刀剣乱舞の薬研藤四郎の記憶は、「薬研藤四郎」という号がついたところから始まっていて、政長さんの事はほぼ記憶にないのでは?

いまつるちゃん小夜ちゃんの極を見ても、刀剣男士が逸話の集合体として具現化していることがわかります。

薬研とて例外ではなく、2通目の手紙でこう書いています。

「――切れ味に優れているが決して主を傷つけない。それが俺の背負った逸話だ。」

もし、刀剣乱舞の薬研自身に実際に政長さんの刀として彼の切腹を拒み、薬研を貫いた記憶があったなら、『俺の背負った逸話』とは書かないと思うのです。まるで他人事のように言う背景には、やはり「薬研藤四郎ではあるけれど、薬研藤四郎ではない」、逸話の具体化した姿であることがあるのではないでしょうか。
手紙からも推し量れるように、彼は信長さんの事を親鳥を慕うヒナのように見ている節も感じられます。
逸話から生まれた存在であるなら、その逸話を信じてくれている信長さんの事を、やはり薬研自身も信じているところがあったのでしょう。
そして、それ以前の、無銘の「藤四郎吉光」であったころの記憶は、親の胎内にいる頃の事のような遠いぼんやりとしたものでしかものでしかないのかもしれません。

佐藤寒山先生の「新・日本名刀百選」では、小夜左文字をしてこう書いています。

「話としては面白いが、本当は名物帳に載せている「光甫覚書」の通り、もともとは細川幽斎の愛刀で、(中略)俗にいう命から2番目といった意味を洒落て、小夜の中山をとり、小夜左文字と名付けた、歌人幽斎の気持ちがわかる。」(p200)

完全にフィクション扱い…
日本刀研究の両山と言われるサトカン先生がこう書いていますが、それでも刀剣乱舞の小夜左文字はあの通りです。それも、修行によって自分の背負った逸話と向き合って自分のものにした結果に違いありません。

 

ここで、この記事を読んでいるかたはこう思うと思います。
「でも、『柄まで通ったぞ』って言うじゃん!」

私もこの考察をしていて、そう思います。
他にも、「ぶっすりいかせてもらうぜ」とか、特の「何が来ても大将を守れそうだ」からは、かつての政長さんのエピソードを彷彿とさせます。
…のですが、この段階でもやはり、彼は政長さんの事は口にしていないのです。

これらの薬研の台詞は、記憶と関わりが無く彼自身の本能的なものが発した言葉なのではないでしょうか。
彼は本質的には「守り刀」であり、吉光の銘の入った(つまり市販された)実戦刀であり、それらの要素が彼にもともともっていた「柄まで通す」強靭さを表面化させているのかもしれません。

 

そして、安土での修行で、薬研は自分を見つめ直し、自分の背負った逸話がどういうものであるか、何のためにこの姿でここにいるのかを見つける事ができたのかもしれません。
「薬研藤四郎」ではなく、「刀剣乱舞の薬研藤四郎」として。

 

だから、修行から帰ってきた彼は言います。「生まれ変わったような気分だ」「自分にやれる事を考えてきた」と。

 

 

ちょっとだけ考察おわり。個人的に思うところ。

ここまで書いておいてなんですが、私自身はこの考察は外れてほしいと思っています。
いつか、室町時代のステージが実装されて、乱ちゃんあたりと回想が入って、それぞれの陣営の主たちについて話してほしいなと思ってます。
極薬研が本丸で言う「俺の主」に、政長さんが入っていてほしいなと思います。

それは多分私自身が、あまりにもこの1年半で、逸話を含めた薬研藤四郎そのものを好きになりすぎたせいもあります。
これまで、「刀剣の薬研藤四郎」と「刀剣乱舞の薬研藤四郎」は、私にとってまったく同じ存在だったからです。「刀剣の薬研藤四郎」のエピソード、押型、そのものがもつミステリアスさがあまりにもイメージに合いすぎていたからです。
だから、最初にアニキ6号が帰ってきた時に、あまりにもキャラが変わったように感じられて最初はとても戸惑いました。(今は慣れました)もしかしたら、修行に出る前の薬研の方が、より本来の薬研藤四郎に近いのかもしれません。
それらのことも、「刀剣の薬研藤四郎」と「刀剣乱舞の薬研藤四郎」は近いけれど別の存在なのだと考えれば、自分の中ではものすごく納得が行きます。

とはいえ、私が薬研藤四郎をきっかけに政長さんの生きた室町時代に興味を持ち、触れる事ができたのは無駄ではなかったと思いますし、政長さんの記憶があろうとなかろうと、本丸にいるアニキたちをこれからも頼りまくる事と思います。
私は政長さんとアニキたちの話を描いて、このジャンルでの活動を終わりにしようと決めていますが、その話で主人公になるであろうアニキ5号のお話も、より深く練ることができそうです。
佐藤寒山先生も、先述の本で、小夜ちゃんのエピソードはフィクションとしていますが、何故か薬研の逸話はまったくその扱いをしていませんし(p144)。

何より、元主にせよ現在の大将にせよ、「自殺なんかしたくてもさせない」と言ってくれるところが、もう記憶の有る無しに関わらず包み隠す事のない薬研の本心であるなら、彼の期待するところに真摯であることが大将にできる事じゃないでしょうか。
いやー、1年半以上ずっと色々考えたり見たりしてるけど、更にまだ考える余地があるなんてすごいなあアニキ。
本人は考えても仕方ない事だなって思考放棄しちゃってるんで、アニキたちには働いて頂いて、替わりに私がこれからも考える担当しようと思います。

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さよならだけが刃生じゃない:薬研藤四郎と畠山政長の話

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1年前から描きたかった漫画がやっと描けた・・・!!

政長さんのお墓には自生なのか誰かが植えたのかわかりませんが、藤が生えているんですよね。もともと、お墓の敷地内の大木に群生してたのですが(2013年頃)私がお参りに行った頃には切られてしまっていたのでこういうお話を想像してみました。
私の本丸だとアニキ5号的なかんじかな… 今日はアニキ5号を本丸にお迎えした1周年でもあったので4−4に出たら3回出陣して3回検非違使が出て危険すぎたので帰ってきました/^o^\

日付的に政長さん522周忌です。
去年書いた記事には思いのほかたくさんのアクセスを頂いて、読み返すとアニキアニキ言ってて恥ずかしいかぎりなんですが笑 読んで下さった皆様、ありがとうございました。
あれから1年、やっぱりアニキについても政長さんについても謎が深まるばかりなのですが、今回はそんななけなしの私のお勉強から辿り着いたちょっとした考察もどきをまとめておきます。

◆政長さんが薬研藤四郎を使って切腹しようとしたのに腹に刺さらなかったのを、臆病で手が震えていたのではという話について。

結論から言います!(ジョルノっぽく)
ありえません!!!!

というのも、
・畠山家は何代も続く武家である。
そもそも政長さんと直接血の繋がりはないのですが(詳細は調べて下さい)ご先祖様は畠山重忠という源平合戦で鵯越を成し遂げたといわれる武将です。その人気たるや鎌倉の人なのに政長さんよりよっぽど伝承が残ってるし、本も出てるし、鎌倉に公園あるし、とにかく武士の中の武士です。そんな格式高い畠山家の嫡男ともあろう政長さんが切腹に対して怯えることはありえないです。

・政長さんは息子の尚順を退避させたのちに切腹している
完全に負け戦であれば、息子共々命を断つはずです。しかし、政長さんはそれをしなかった。自分の腹心も一緒に退避させていたのです。それは「政長さん自身の血」と「希望」を息子に託したからで、政長さん自身には死の覚悟ができていたからだと思います。
それに政長さんは十文字切腹をしています。これは切腹の中でもだいぶ覚悟の必要なものです。

・そもそも、政長さんそんなに臆病者じゃない
政長さんが38歳の頃、帝の別荘一帯で大火事がありました。そんな中、政長さんは真っ先に駆けつけ、やんごとなき方々や皇室御物を炎の中から救出しました。
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そのほうびとして政長さんは太刀を賜りました。「その太刀ってもしかして吉光なのでは!?」って必死で探したんですがわかりませんでした\(^o^)/
とにかく、街の一角が大火事になっている中冷静に事を運べるような人が、切腹を恐れたりしないと思います。

◆じゃあ、ほんとに腹には刺さらなくて薬研には刺さっちゃったのかという話について。

結論から言います。
「斬った斬らなかった」「貫いた貫かなかった」ではなく、今この現代にまで、薬研藤四郎の逸話がこのような形で伝わっていることが重要です。

もし、「主人である畠山政長は臆病者の武士であったので、吉光を手にしながらも手が震えて切腹がうまくいかず、いらだちに任せて吉光の短刀を投げ捨てた際にそばにあった薬研を貫いたそうだ」と伝わっていたらどうでしょう。
たしかに、吉光の名は「薬研も貫いてしまうなんてすごい斬れ味だ」と、その名は地に落ちないでしょう。
しかし、政長さんは後世まで「切腹もできなかった臆病な武士」といわれのない汚名を着せられてしまいます。
政長さんの切腹がうまくいかなかった経緯については、薬研しか知らないことであるのでそこはいいです。この事実を、「藤四郎吉光が主人の命を守ろうとした」という解釈でのちのちまで伝わっていることにより、薬研藤四郎は吉光の名も主人の名誉も守っているのです。

短刀では聞いた事がありませんが、刀で鉄を斬ることは「応仁記」にも記述があったのでできるようです。ただし、そのときは刀も折れてましたが。
そんな時代に当時無銘の藤四郎吉光が、自分だって折れてしまうかもしれないのに鉄製の薬研を貫くというこの逸話のすごさ。
押形を見たことがある方はわかると思いますが、薬研藤四郎はじつにシンプルな短刀です。秋田くんなどに見られる彫りもなく、棒樋すら通っていません。
刀身に彫られる梵字は、「国や主人を守るため神仏に祈る」ために彫られることが多いようです。それがない薬研は、守り刀でありながらやはり実戦刀の意味合いが強い吉光だったのではないかと思います。

たいし棒樋は刀の強度を上げる役割もあるそうです。
刀身に彫がないのは厚くんも同じですが、こちらは厚さがあるので強度としてはじゅうぶんでしょう。
外見から号がつけられる「乱」「厚」「包丁」などとちがい、薬研は外見から号を授かるにはあまりにもシンプルな藤四郎吉光だったのです。

でも、私はそのシンプルさが好きです。
その特徴を反映しているのかいないのか、刀剣乱舞の薬研もその台詞はとてもシンプルでストレートです。年が明ければ素直にあけましておめでとうと言い、審神者が1周年を迎えたら楽しそうに笑いながらおめでとうと言ってくれます。そこには無駄な飾り気がなくて、だからこそ薬研の言葉のひとつひとつには本当に素直な意味が込められているのだろうと思います。

そんな薬研がランクアップの時に「何が来ても大将を守れそうだ」と言う。
この「守る」には、敵から守るというだけではなくもっと広義な意味があるように感じられます。かつて、政長さんの命は守れなかったけれどその名誉は守りとおせたように。

というわけで、1年めのとりとめのない考察その2でした。
最後のほうただのアニキ大好き語りになった気もいたしますが、同人サイトなので大目に見てくれ。

 

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「正宗」と「吉光」と信長についてのそれはそれ、これはこれ

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いわゆるご兄弟。本日も明石国行は捕捉されないであります!

すいません、今の今まで「不動国行」と「不動行光」を同じ刀だと思ってました/^o^\
薬研藤四郎と縁が深いのは不動国行のほうなのでものすごくあわててしまった…お恥ずかしいです><

あらためて来歴を見てみたら、正宗のお父さんの作なんですね。正宗か・・・・この際だから、ちょっと書いておきます。

渡辺妙子氏の著書「名刀と日本人」で、「何百年も短刀の最上位といえば粟田口吉光だったのを、信長が正宗を第1子に与えたことでその価値が逆転した」(要約)というエピソードを読んでいるので、粟田口大好きな私、ちょっと思うところがあります。
もちろん、両者共にすばらしい刀工であったことに間違いはありません。本来ならば個人の好き嫌いはあれど、優劣を付けるべきではないと思います。
時代のせいといえばそれまでかもしれませんが…なんだか、それまでの吉光の短刀が歩んできた歴史を蔑ろにされたようで引っかかります。
藤四郎吉光の短刀は、できばえとして素晴らしいです。さらにそれに加えて、政長さんをはじめもと主人たちの逸話でますます神格化されていきます。私も何回か短刀を拝見して、当時の武将たちが最後の命を託す刀として選んだ理由がわかるなあ、と思いました。

さらにずっとあと、GHQが日本刀を査収した際、佐藤寒山先生をはじめとする日本刀を保存しようと尽力した団体がありました。
マッカーサーに日本刀の素晴らしさを伝えるために選ばれた刀のうちの一振りが粟田口吉光であり、それまで他の刀を見ても表情すら変えなかったマッカーサーが、吉光の短刀を見て考えを変えた、という話もあるそうです。
詳しくはこちらの記事を参照
一振りの吉光の短刀が、あまたの日本刀を救ったのです。私はこの話に大変感動して、ますます粟田口吉光に敬意を払うようになりました。

そんな粟田口吉光の短刀に何をしてくれとんねん、というのが私の信長に対する正直な気持だったりします。偏っていることは認める…あと正宗がきらい、ということもないです。
これまでの武家の因習を打破したかったという意味なのでは、と渡辺先生は書かれていますが変えなくたっていいこともあるのでは。。。と現代人の私はつい、思ってしまいます。

刀剣乱舞の薬研は、多分そんなことぜんぜん気にしないでしょう。私が勝手にこの一件についてイヤなことだなあって思うだけです。それはそれ、これはこれです。(なので、長編「刃金の〜」ではちゃんと信長も描きました)
だから今ここに書いてスッキリしてあとはもう行光の実装を待ちます。

とりあえず、めっちゃ間違えててごめんなさい/^o^\
甘酒をいっぱい用意してお待ちしております。

そんな私の俳句スロット
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どうしてこうなった・・・