20140722

ジョルノがブチャラティを信じるということ

20140722

今回はちょっと真面目に語っちゃうよ!!

恥パで、ジョルノとブチャラティはお互いに相手のいないところで「信じていた」「信じてもいいと思った」と言っています。そんな2人なのに恥パ作中では会話が一切描かれないところがとってもグッと来るところなんですが、じゃあ、「信じる」って一言で言っても信じるって何だろう?と思いました。

「信頼関係」と一口に言っても色々あります。「自分が相手にかける期待を裏切らない」とか「ウソをつかない」とかもこれに含まれると思います。
ポルポは信頼が最も大切だと言っていましたし、ジョルノとブチャラティがはじめてケーブルカーで対峙したとき、ジョルノは「事故だったと言っても信じてはもらえないんですよね」とブチャラティに言います。先にジョルノがウソをついたからです。
では、ジョルノとブチャラティの関係でいう「信頼」はどうだったか、というと、意外にもアバッキオが答えを言ってたりします。
「ジョルノは 自分をおまえが決して見捨てないってことを信用してるらしいな」(ズッケェロ戦)

本来なら両親からではなく、自分が助けたギャングから、ジョルノは「人を信じる」ということを教わります。ジョルノの生い立ちからして「親から見捨てられた」という絶望がギャングとの出会いによって「自分を見捨てない人間がいるのだ」という希望に、幼いジョルノの中で変わっていったのではないかと思います。その延長線上で「ブチャラティは自分を見捨てない」という信頼に至ったのではないでしょうか。

「自分を見捨てない人がいる」ということは、「自分を信用してくれている人がいる」という安心感を生み、前に進む自信を与えてくれるものです。これまでのジョルノの人生でそこまでの希望を与えてくれる人はいなかったし、ジョルノ自身も相手を選んでいたふしがあったように見受けられます。

唐突に「ボスを倒してこの街を乗っ取るつもりでいる」とブチャラティに語ったとき。
ずいぶん突拍子もないことをするなあと思ったものですが、あの行動ももしかしたらブチャラティを試していたのかもしれません。レミゼの一節に、「盲目にしてしかも愛せられているということは、何も完全なるもののないこの世においては、実に最も美妙な幸福の一である」という言葉があります。要約すると、無条件に愛情(恋愛に限らず)を受けることの幸福をユーゴーさんが語っているのですが、ジョルノもそれに近いことをブチャラティに試したのです。
「ギャングになって街を乗っ取る」などと普通の相手に言おうものなら、笑い飛ばされるかスルーされるか下手したらその場で始末されます。
でも、ブチャラティはそうはしなかった。ジョルノ自身、一人ではどうにもできなかったジョルノの未来展望に「黄金のような夢」という言葉と、彼自身を賭けるとまで言いました。
逆に、康一くんはジョルノが「いい人」と認めたし、康一くんもジョルノと「黄金の意志が受け継がれている」と認めたにもかかわらずジョルノが「ギャングになる」という目的を語った時の反応は原作の通りでした。日本人学生だったら当たり前の反応だとは思いますが。ますます、ジョルノの中ではブチャラティに対する信頼が強くなったに違いありません。じっさいブチャラティと出会ってから、きつめだったジョルノの目つきは心無しか真っすぐになって、輝きが増したような気さえします。

そして、アバッキオが語った信用から始まって、ジョルノとブチャラティの間には「協力関係」というかたちで信頼が結ばれていきます。この記事で語ったように、最終的な目的をほかのみんなに話さなかったあたり、特別な信頼関係だったのでしょう。
上に置いてる絵は、個人的に一番好きなジョルノとブチャラティの距離です。肉体的には接していなくても、その心は常に信頼で結ばれてる(のかな!?)というのが本当に好きです。
この関係は私のジョジョの二次創作でギャグだろうとそうでなかろうと大事にしていきたいなと思っているところの一つです。ちゃんと描いていけたらいいな。できるかな?できるできないではない、やれ!と私は自分を信じつつまた写経に戻ります=≡Σ┌(φ^o^)┐

20131207

「5+1」から「2+4」

「護衛チーム」と一言に言っても、ジョルノ加入直後から時間が経過していくにつれてはこんなイメージです。途中で「2+4(-1)」になってしまいますが…

ジョルノもブチャラティも、「ジョルノ(またはブチャラティ)、みんな」という言い方をよくしているからです。特にジョルノにその傾向が強く、ブチャラティ、トリッシュ、みんな、という括りをよくしています。2人はお互いに共通の秘密の目的を持っている間柄だからでしょう。

ここで最初に疑問に思ったこと。
「ブチャラティはなんで『ボスを倒そうと思っている』ことを、護衛チームメンバーに言わなかったのか」

「キルラキル」では、実は実の母である組織のボスを打倒しようとしていることを、リーダーの皐月は配下の四天王と側近とその甥にだけ打ち明けていました。それだけの信頼がブチャラティにとってのフーゴ達4人に無いとは思えません。
勿論最初は4人とも戸惑いを見せるでしょうが、むしろ最初から計画を打ち明けていたほうがスムーズに事も運ぶというものでは?
ナランチャあたりがぽろっと言いそうだからでしょうか。初期に「フーゴが裏切る」という設定があったからでしょうか。それだと、計画を打ち明けていたほうが話の流れ的にはスムーズです。

個人的には、その理由はジョルノにあると思ってます。
ジョルノはブチャラティがいきなり連れてきた新入りです。「5+1」のみんなの態度から余り歓迎されていなかったことも明らかです。彼らは全員ブチャラティを何らかの形で信奉しているので、いきなり現れたくせに妙に彼から信頼されているふうなジョルノにたいして何らか反感を抱くこともあったと思います。おまけにジョルノ本人も物腰は丁寧だけど何だか生意気だし笑

もし、「ボスを裏切ろうと思っている」ことを4人に打ち明けたら。
「ジョルノがブチャラティをそそのかしたに違いない」という、半分は当たっているにしても更にジョルノに反感を抱かせてしまうには充分な理由になってしまいます。ナランチャやフーゴにとっては「ブチャラティが幹部になる」ことが最重要で、アバッキオはそんな彼らと組織に組することで心の平穏を得ていたし、ミスタは莫大な利益を得られることに心を躍らせていたので、全く逆の道を行くとなると天地がひっくり返ったような思いになることでしょう。
その理由が「正義のため」と言われてもはたしてピンと来るかどうかです。

おそらくブチャラティはそこまで考えて、彼らには言わなかったのかもしれません。さらに彼はみんなの矛先がジョルノに及ばないようにある行動をとります。それがマジョーレ教会で見せた突然のボスへの裏切りです。こういう書き方をするとまるでジョルノのためにトリッシュを助けたようになってしまうので誤解されないようにしたいのですが、結果的にはそうなったのでここではそのように述べます。

自分ひとりが裏切ったように見せれば、ジョルノとともにどのみちボスを倒すつもりだったことはみんなにバレません。ジョルノがボートに乗ることに迷いがない素振りであっても「ブチャラティについて行くことに決めている」と思わせることが出来ます。
ジョルノと戦った時もそうでしたが…いやーほんと 駆け引きがうまいなーブチャラティ!!と感心した場面の一つでもあります。

たとえ状況が理解できなくてもジョルノがブチャラティに何も言わなかったのはこのことに気付いたからかもしれません。
組織を裏切ったあとでも、「実は最初からそうしようと思っていた」とみんなに語るシーンが一切なかったあたり、2人とも「最初から2人で決めていた」ことをメンバーに悟られないようにしよう、と無言で意思疎通した結果なのかなって。だから「2+4」です。

余談ですが、こんなに意思疎通が完璧なのになんでジョルノとブチャラティは物理的に2人行動することがほぼなかったのか、っていう話を友達としてたんですが。
「班長と副班長みたいな感じだからじゃあないか」という友人の言葉に妙に納得しました。たしかにリーダーとサブリーダーが単独行動したらメンバー困っちゃうよね!

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もう記事に上げたかもしれないけど12月くらいに描いたやつ…を旧ブログから引っ張ってきました\(^o^)/
この記事書いた時にはさらっと「寂しくないのかな?」とかですませてるけど、GEがジョルノからそんなに離れてちょっと大丈夫なの?!何でブチャラティの後ろにいるの?って思ってしまう程度には仕上がってきました。

ジョジョ考察もどき:ジョルノとブチャラティとミケランジェロ

なんかで火がついちゃったのでこれもちょっと自分用にメモっときます。このテーマについてはまだまだ考える余地があるのでそのうちまた書くかもしれません。

ジョルノのモデルがダビデ像、というのは有名な話ですが、今回はその作者のミケランジェロのこともちょっと踏まえつつまとめていきます。

まず、ジョルノのモデルとなった「ダビデ像」について。昨日の画像ですがもう1回貼っときます。

ダビデは、1504年、ミケランジェロが29歳の時にフィレンツェのシンボルとなる像として依頼されて造られた彫刻です。
ダビデをモチーフにした彫刻は他にもありますが、ドナテロやヴェロッキオの「ダビデ」が県を構えて勝利のポーズをとっているのに対し、ミケランジェロの「ダビデ」は「ゴリアテ」という巨人を目前に構えている彼の不安と緊張を表しているからだと考えられています。

ミケランジェロの「ダビデ」が造られた背景には、フィレンツェの独立国家としての歩みの歴史があります。
「豪華王」と呼ばれたロレンツォ・ディ・メディチがフィレンツェを支配したルネサンス期は、イタリア国内でヴェネツィア、ミラノ・ナポリ(ネアポリス)、国外ではフランスとの利害関係によるいさかいが日常茶飯事でした。そんなとき、ロレンツォは平和と文化のために全財産をもなげうつ覚悟で積極的に外交していたそうです。ロレンツォに高く評価されていたミケランジェロは当時10代後半。ロレンツォの死を悼み、木彫りのキリスト像を製作したと言われています。
フィレンツェの主は代替わりし、芸術に全く興味を示さないピエロ・ディ・メディチになりました。彼がミケランジェロに命じた仕事は「庭に雪だるまを造らせること」だけだったというので、どんだけ豪華な雪だるまだと思います。ある意味すごい。

その後、フランス軍によりフィレンツェからピエロは追い出されてしまい、厳格な修道院院長サヴォナローラが市民の支持によってフィレンツェの新たな王になります。
ちなみに。このときミケランジェロはボローニャに逃げています。メディチ家の失墜とともに、彼の父も職を失い、ミケランジェロは家族のためにいくつか作品を制作しました。

間もなくして、ルネサンスの熱狂からサヴォナローラの厳格な執政に耐えられなくなった市民たちは彼を執政者の座から引き摺り下ろして処刑してしまいます。
フィレンツェに、真の意味での民主主義国家の風が吹いたのです。

ミケランジェロがダビデ像の依頼を受けたのは、まさにそんな時でした。
めくるめく執政者の変遷、激動の時代に、ダビデ像は「自由」と「解放」のシンボルとなったのです。
ちなみに調べるまで気付きませんでしたが、瞳の瞳孔がハート形に彫られているそうです。我が家のレプリカもよく見たらハート形に。えっ…じゃあジョルノの瞳孔もハート形にしたほうがいいの!?

では、次に原作の「眠れる奴隷」のエピソードを見てみましょう。

スコリッピが、ミスタにブチャラティの「像」について確認しているシーンです。

「あれは『運命の形』なんだよ…像は胸に穴を開けられ、血を流していましたね?」

そのコマで描かれている作品は、同じくミケランジェロ作の「瀕死の奴隷」という作品です。その後のシーンで、再び「眠れる奴隷」について語る時に登場します。

この像が制作されたのはダビデ像よりずっと後の1531年です。ミケランジェロはこのとき56歳。ローヴェル家(ユリウス2世)の依頼によるものでした。ミケランジェロとユリウス2世の衝突しながらも築かれていた奇妙な信頼関係は映画にもなっています。
完成したのは3年後の1534年。この間、ミケランジェロは立て続けに愛する家族を亡くし、自身も重い病を患います。

そんな境遇のなか製作され、荒木先生が「眠れる奴隷」の中で描いたのは一連の「奴隷シリーズ」6体のうちの1体「瀕死の奴隷」(『囚われ人』『多血質』というタイトルもある)です。
当時のフィレンツェでは「魂は天に属するものであり、つねに天へ昇ろうとしている」という「ネオプラトニズム」の思想が蔓延しており、ミケランジェロも類に漏れず影響を受けていたと言われています。
「奴隷シリーズ」のモチーフは、ユリウス2世の戦績をたたえ、捕虜の男たちとされており、「不自由」「束縛」「肉体という檻にとらわれた魂」というキーワードが浮かび上がってくる作品となっています。なんだか、ダビデ像のテーマと真逆ではないでしょうか。

荒木先生は何故「反抗する奴隷」のほうではなく「瀕死の奴隷」のほうを2回も描いたのでしょうか。この2体はともにルーブルにセットで展示されています。

紹介サイトにはこうあります。
『瀕死あるいは眠っているように見える奴隷』。ブチャラティの像が死んでいるので、「反抗の奴隷」ではなくこちらを描かれたのでしょうか。

ここで、ジョジョに立ち返ってジョルノとブチャラティの境遇を比較してみます。

ジョルノは、キャラクター紹介にもあるように「希望さえあれば、どんな場所にもたどり着けると決心している」キャラクターです。
原作でも、あれだけつらい過去を持ちながらも、彼が過去を振り返ることは1度もありませんでした。つねに、「このジョルノ・ジョバァーナには夢がある」と、未来しか見ておらず、目の前の敵を冷静に倒そうとする様子はまさにダビデ像のようです。
言い換えれば、ジョルノは彼の夢以外守るものを持っていません。家族には互いに情はなく、昔出会ったギャングもそばにおらず、友人・恋人も無く「一人が好きなんだ」と仲間さえ作らずなんのしがらみもなく生きてきました。
普通の人がとらわれる人間関係から、孤独と引き換えに彼は完全に自由なのです。ブチャラティと出会うまでは。

いっぽう、ブチャラティは「父から受け継いだ『やさしさ』が運命において弱点となった」と書かれています。もともと、父を守るためにギャングにならざるを得なかったブチャラティ。ギャングになってからは街の人々を守り、ジョルノと出会ってからは、仲間を守り、トリッシュを守り、12歳から(ひょっとしたら7歳から)彼は常に何かを守って生きてきました。
逆にいえば、それは「守るべき対象にとらわれている」ともいえます。まるで、家族の名誉と幸福や、依頼人との約束を守るために数々の名作を世に送り出してきたミケランジェロのように。ミケランジェロ本人も、弟子や友人に慕われたとてもいい人だったそうです。
荒木先生はそれを「やさしさ」と表現しましたが、ブチャラティ自身の基本的な性格が、「何かにとらわれずにはいられない」ものなのかもしれません。まさに、奴隷像のように鎖につながれているのです。

5部のエピローグのタイトルが「眠れる奴隷」なのは、こうしたブチャラティの境遇も関係しているのかもしれません。
「瀕死の奴隷」はたしかに、他の奴隷シリーズとおなじく肉体にとらわれています。
しかし他の像と違い、「瀕死の奴隷」だけは「死によって解放される魂の恍惚」をその表情から汲み取ることが出来ます。

ブチャラティは、ジョルノに出会ったあとも「ジョルノの夢」にとらわれています。彼自身が彼の思う正義のために行動することは出来ても、ジョルノのように「ギャングのボスになって麻薬を止める」という夢を抱いていたわけではないからです。
また、彼のスタンドの「スティッキィ・フィンガーズ」にもその一端が見えているように思います。ジッパーは、切り開くことも出来ますが一度開いた出口を閉じることも出来ます。
「自分を捕えている何かから解放されたい、でもそうするわけにはいかない」というブチャラティ自身の葛藤が現れているようにも見えます。

そういう意味では、彼は完全に自由ではありません。この「解放されているのかされていないのかわからない曖昧さ」があの「瀕死の奴隷」の描かれたコマの妙だなあと私は思います。

それでも、ジョルノに出会ってブチャラティは心が生き返り、幸福な気持ちで逝くことが出来ました。
まったく根本が正反対のジョルノに出会ったからこそ、はじめて「自分の思うように生きてもいいのだ」(※この場合は、彼の信じる正義のため)と目醒めることができたのではないでしょうか。それが、彼自身の魂の救済、「運命の奴隷を解き放つこと」だったのかもしれません。

なんだかこの流れからすると5部の側面として「ジョルノによるブチャラティの救済物語」みたいになってしまいますが、そういう一面も確かにあるのではないでしょうか。
5部の開始時にダビデ像が描かれ、エピローグに「瀕死の奴隷」が描かれているところも興味深いです。どっちもフィレンツェなのに笑
ちなみに、奴隷像6体のうち未完成の4体は、フィレンツェのアカデミア美術館でダビデ像の足下に展示されているそうです。

 

参考
・「図説ミケランジェロ」(河出書房新社)
・kotoba1月号『ヨーロッパ芸術のヌードを解体する』P118~(集英社)
・他参考wiki「フィレンツェ」「新プラトン主義」「ラオコーン」

 

ジョジョ考察もどき:ジョルノと時計とブルガリと

ジョルノの時計といっても、いまオークションとかで4倍の価格になってるアレのことではなく、原作でジョルノが着けている時計のお話です。

ジョルノの時計が登場するシーンは次の3つがあります。

1:刑務所で所持品チェックをするさい、カバンの中身を出しているコマ

2:カプリ島に上陸後、どのくらい時間が立ったのか確かめるシーン

3:シルバーチャリオッツ・レクイエムで皆が眠らされた後、ナランチャ(体はジョルノ)が時間を確かめるシーン

1~3に描かれている時計は、いずれもぱっと見、違うデザインのものに見えます。

とくに、2の時計は海の中を泳いで渡ってきたので防水加工でもしなければ止まってしまうはずですが、時計もビニールに入れてきたのか?
重要なのは、「ジョルノが時間をとても気にするキャラ」であることです。

今回は、3の時計について主に書きたいと思います。

荒木先生が非常にわかりやすく描いておられるので、この時計は「ブルガリ」の「ディアゴノ・アルミニウム」という時計とわかります。
98年に出た時計なので、2001年が舞台の5部では比較的新しいモデルです。さすがジョルノ!ちなみに、定価で買うと45万円。しかも文字盤、ベゼルが一部マイナーチェンジされているのでジョルノとお揃いを買おうと思ったら中古を探すしかありません。

問題は、この時計に表示されている「日付」です。

実は私も同じものを持っているので確かめてみたのですが、3時の位置にある数字はその日の日付を表しています。今日の日付は8日なので、「8」をさしています。

ジョルノ(ナランチャ)のコマでは、その数字が「6」となっています。
つまり、あの日は「春」の季節の「6日」だったということになるのです。

ローマの気候は東京とほぼ同じくらい(3月では寒すぎる)」「ジョルノの誕生日は4月16日(5月ではジョルノが16歳になっている)」、ということから、4月6日と考えていいと思います。イタリアの新学期は日本と違って9月中旬からなので、ジョルノが中等部という設定にも齟齬はありません。>>参考リンク「日本とは大きく違うイタリアの学校制度」

ですがここで、ディアボロが検死されているシーンの問題が出てきます。「医師」のモニカ・ユルテッロが「3月25日」「死後48~54時間」と言っています。本格ミステリーでは、「医師の検死は絶対」とされていたりするのでほぼ確定であの日の日付は3月23日のはずです。何故、ジョルノの時計は6日を刻んでいたのでしょうか?

なけなしの頭で2つの説をおっ立ててみました。

その1:ディアボロの検死は「すでに繰り返している死」のうちのひとつで、本来の日付ではない。

GERが与えた永遠に繰り返す死は、ディアボロの意識が戻らない状態で殺された場合本人には認識されません。そうして何度も殺されているうち、目が覚めたのがあの検死のシーン?

もしくは、無意識のうちに彼の「キング・クリムゾン」が抵抗し、「殺害される過程」をすっ飛ばして結果(死)だけを受け入れてしまった場合も同じことが発生するかもしれません。

その2:ジョルノの時計が狂っていた可能性

このカジュアルでほどよく品があるかわいい時計は、じつはメンズとボーイズ、レディースで違いがあります。メンズは自動巻、レディースとボーイズは電池式なのです。

ジョルノの手首がどれほどのサイズなのかわかりませんが、メンズサイズは腕周りが17cm~、時計のフェイスサイズも4.4cmとかなり大振りです。
いっぽう、ボーイズサイズはフェイスサイズ3.2cmとやや小振りになります。

参考: メンズ   ボーイズ

「ボーイズ」のほうで男性が着用している画像を参考にしても、おそらく彼が着けているものはボーイズサイズであることが推測できます。まあ、年齢的にもボーイズですもんね!余り年齢は関係ないですが笑

ということは、ジョルノの時計は電池式です。ちなみに、セイコーから出ているジョルノモデルも電池式ですがあちらは日光で動くもので、ブルガリのほうはバッテリーで動きます。

では、その時計はいつからジョルノの腕に着いているものなのか?

ノトーリアス戦で、ジョルノは自分の両腕を切り落としてしまいました。右腕はスタンドに食われ、時計をしていた左腕は飛行機の外。
まさか、あの切迫した状況でわざわざ時計を外したりする余裕はないでしょうから、アルミニウムを手に入れたのはサルディニア上陸以降ということになります。

ドッピオがリゾットと死闘を繰り広げる前、ジョルノは新しい時計を手に入れました、という推測もできるわけです。

でも、ここで問題があります。
はたして、サルディニアにブルガリの直営店が存在するのだろうか?
BVLGARIの店舗検索で調べてみたところ、「コスタ・ズメラルダ」のある「オルビア州」にもショップが存在するようです。というか、至る所にあります。さすがはブルガリ。
ちなみに、ネアポリスにもあほみたいにあります笑

荒木先生は「kotoba」のインタビューで「かなり正確に市街地の様子を描いた」と仰っていたので、いい加減な地理ではないと思います。
とはいえ、店舗は市街地のど真ん中(余談ですが『ティツィアーノ通り』というステキな通りがあります)。片道24km、30分ですのでもしかしたら行ったかもしれない可能性がありますが、ボスの正体を知るため急いでいる道中そんな余裕があったかどうか疑問です。

皆を労うためにブチャラティがあえて休息を取る、という選択をすればまあ、ありなんですが(ここ二次創作のしどころですよ)。

ということは、ジョルノの時計は正規店で購入できたものではない可能性があります。
ジョルノの性格的にも、時計はあったほうがいいという考えだったのでしょう。
このモデルに決めたのは単純にジョルノの趣味だったからかな?
とにかく、購入する際に「とりあえず電池が動いて」「時間が正確」ならば「ベネ!」という方向で買えば、日付を調整しなくても構わなかった、というわけです。

どっちにも考察できるところが面白いなーと思いますが、個人的に「ジョルノの時計は腕を失ったジョルノをねぎらってブチャラティが買ってあげた」だとちょっといいなって思いました。そっちだったら、メンズサイズのほうが理想なんですけどね。ずっと腕に着けてないと時間がくるってしまうので!
実際、サルディーニャ以降ジョルノの左腕は無傷に近い状態です。右腕はディアボロに吹っ飛ばされたりしてましたが。

♡おまけ:その他のキャラクターの時計

・フーゴ
フーゴにも時計の描写があります。
最初は、「カルティエ」の「パシャC」のグリッドが入ってるやつかな?と思っていたんですが。
よく見るとリューズが12時の方向に着いてます。
そんな時計あるんかと調べたところ、有名なところでは「ガガミラノ」の時計がそうですが、文字盤のデザインは全然ちがうのでこちらではないようです。
荒木先生のことなので、適当には描かれていないと思いますのでまだまだ特定の旅は続きます。

・ブチャラティ
ペリーコロさんと待ち合わせる際に時計を見ているシーンがあります。
残念ながら、ブチャラティの時計の描写があるコマはここだけです。
形状と、「ジョルノと対になるようにデザインされた」という前提で、これもまた「ブルガリ」の「ブルガリブルガリ」かな?と勝手に決めつけてみました。商品の通称もBBだしね!こういう妄想が楽しいんだよね!!\(^o^)/

余談ですが、ブチャラティが隠したポルポの隠し財産にも、ブルガリのジュエリーが数点見られます。「ドッピオバチュラートリング」「トゥボガスバングル」などです。イタリアのギャングだからイタリアのブランドを大事にするってちょっと良い。