20141022 過去描いたDIOとプッチがASB本折り込みに描いたこれしかないぜ

こんなはずじゃなかった…こんなはずじゃ…なんか急に直下型で萌えが来た。すごい。私6部ではウェザアナが好きだったのに!!
で、DIOプッチですよ。ASBの会話がアレなのはわかってたけど、そもそもこれって原作からの台詞ですもんね。
先述の通り私はこれまで完全に徐倫側の読者だったんで、あんまり他のことが記憶になくて、再読したらまず2人の出会いに驚いた。扉絵のウェザーとプッチも深く考えると頭痛になる感じだが、その出会いに驚いた。(OHのDIO風に)

まだ15歳のプッチが、各国をスタンド使い&有人探しに飛び回ってるDIOに躓いて持ってた本をバラバラと落とし、ローソク倒しそうになる…どこのラブコメだ!!
おまけに「へえ、聖職者がこんな本読むんだ」からの「おまえ面白いな」 …どこの乙女ゲーだ!!
プッチもプッチで、見るからに怪しいDIOの言うことを疑いもしないし、そんなDIOはジョルノやブチャラティたちが命をかけて奪おうとした「矢」をいともあっさりプッチにくれてやり、「引力を信じるか?」と口説きにかかる始末。

でもDIOの性格のことだから、また利用するつもりでいたのだろう…という読者の予想もあっさり裏切られて、その後も親交は続き、DIOが「マイケル・ジャクソンのライブをテレビで見た」という衝撃の発言すらかます。あのDIOがマイコーのライブをどんな気持ちで見てたんだろう…息子さんはジェフ・ベックのファンなのでそっちもよろしく。
「なんてことない毎日がかけがえないの」と言わんばかりの2人の親密そうな空気は穏やかじゃない。ここで気になるのは、2人の出会った期間はどのくらいだったのか?ということですが、1987年に出会い、3部の年代にあたる1988年1月にDIOは死んでいるから、実際会っていた期間ってそう長くないはず。ジョルノとブチャラティよりは長いけど。
そんな長くない間に2人は親友になり、プッチは「神を愛するように」DIOを愛し、DIOは「話していて心が安らぐ」というのだからスゴい話です。

私がこの2人沼いなと思ったのは、2人で同じベッドに寝てるとか、愛している発言とか、そんな表面上のものではなくて、たったそれだけの期間にアメリカとエジプトを行き来し、語り合い、お互いを親友と認め、ついにはDIOの目指す「天国」に遺されたプッチが22年間孤独にそれだけを目指し続けているところ。
これで、DIOのノートを死後すぐにプッチが読んだのならまだわかりますが、プッチはDIOとの会話だけを糧にして22年間過ごして来たっていうのがまたすごいです。それはいったい何の為だったのか?
「結末」がわかれば「覚悟」ができる、という、自身の妹を失った過去の傷のせいかもしれないし、心底DIOの思想に同調していたのかもしれないし、あるいはどっちもでもあるかもしれないし、どっちも違うかもしれません。
最初、DIOが出会った頃のプッチは、家族に愛され、家族を愛し、裕福な家庭に生まれ、神を信じている純朴な少年に見えました。もっとも、妹とウェザーを別れさせる為に若干汚い手を使おうとするあたり、素質はあったかもしれませんが、2011年現在ほどのあくどさはなかったように思います。

DIOの心からの信頼を得る、という他の誰もなしえなかったことが、プッチのその後の人生を歪め、狂気にも似た思いであるかもわからない「天国」に駆り立てたんだなあ、と思うと、「緑の赤ちゃん」に腕を食いちぎられている時の表情などとてもグッと来て涙すら浮かんでしまいました。神に縋るように、DIOに縋っていたのかもしれません。DIOもまた、自分が死ぬかもしれないと思っていたなら、プッチに縋るような思いもあったかもしれません。

ジョジョでの「悪」の定義は、承太郎やブチャラティがその言葉の中で語った通りの定義だと思います。それなら、プッチも勿論その「悪」にカテゴライズされるわけですが、「悪」としてのプッチは許せなくても、「人」としてのプッチは私個人的にはやっぱり(6部初読の時もそうでしたが)許せないと思うことはありませんでした。どことなくプッチにも「運命の悲しさ」を感じるからかも。(SBRの大統領も「悪」かというとディアボロみたいなわかりやすい「悪」というか、「正義」のために犠牲払いすぎな部分以外は正しい人だと思いますがプッチとはちょっと違います)

そんな思いのまま、買って1回だけ読んだ「Over Heaven」をまた読んだらまたこれがウワアアー!!!!という感じだったので、また後日感想書きたいと思います。いやージョルノとブチャラティ一辺倒だったのになんてこった…でもこの萌えって多分、ジョルノとブチャラティが好きだからこそ来たものだと思います。その理由も、また後日。