なんかで火がついちゃったのでこれもちょっと自分用にメモっときます。このテーマについてはまだまだ考える余地があるのでそのうちまた書くかもしれません。

ジョルノのモデルがダビデ像、というのは有名な話ですが、今回はその作者のミケランジェロのこともちょっと踏まえつつまとめていきます。

まず、ジョルノのモデルとなった「ダビデ像」について。昨日の画像ですがもう1回貼っときます。

ダビデは、1504年、ミケランジェロが29歳の時にフィレンツェのシンボルとなる像として依頼されて造られた彫刻です。
ダビデをモチーフにした彫刻は他にもありますが、ドナテロやヴェロッキオの「ダビデ」が県を構えて勝利のポーズをとっているのに対し、ミケランジェロの「ダビデ」は「ゴリアテ」という巨人を目前に構えている彼の不安と緊張を表しているからだと考えられています。

ミケランジェロの「ダビデ」が造られた背景には、フィレンツェの独立国家としての歩みの歴史があります。
「豪華王」と呼ばれたロレンツォ・ディ・メディチがフィレンツェを支配したルネサンス期は、イタリア国内でヴェネツィア、ミラノ・ナポリ(ネアポリス)、国外ではフランスとの利害関係によるいさかいが日常茶飯事でした。そんなとき、ロレンツォは平和と文化のために全財産をもなげうつ覚悟で積極的に外交していたそうです。ロレンツォに高く評価されていたミケランジェロは当時10代後半。ロレンツォの死を悼み、木彫りのキリスト像を製作したと言われています。
フィレンツェの主は代替わりし、芸術に全く興味を示さないピエロ・ディ・メディチになりました。彼がミケランジェロに命じた仕事は「庭に雪だるまを造らせること」だけだったというので、どんだけ豪華な雪だるまだと思います。ある意味すごい。

その後、フランス軍によりフィレンツェからピエロは追い出されてしまい、厳格な修道院院長サヴォナローラが市民の支持によってフィレンツェの新たな王になります。
ちなみに。このときミケランジェロはボローニャに逃げています。メディチ家の失墜とともに、彼の父も職を失い、ミケランジェロは家族のためにいくつか作品を制作しました。

間もなくして、ルネサンスの熱狂からサヴォナローラの厳格な執政に耐えられなくなった市民たちは彼を執政者の座から引き摺り下ろして処刑してしまいます。
フィレンツェに、真の意味での民主主義国家の風が吹いたのです。

ミケランジェロがダビデ像の依頼を受けたのは、まさにそんな時でした。
めくるめく執政者の変遷、激動の時代に、ダビデ像は「自由」と「解放」のシンボルとなったのです。
ちなみに調べるまで気付きませんでしたが、瞳の瞳孔がハート形に彫られているそうです。我が家のレプリカもよく見たらハート形に。えっ…じゃあジョルノの瞳孔もハート形にしたほうがいいの!?

では、次に原作の「眠れる奴隷」のエピソードを見てみましょう。

スコリッピが、ミスタにブチャラティの「像」について確認しているシーンです。

「あれは『運命の形』なんだよ…像は胸に穴を開けられ、血を流していましたね?」

そのコマで描かれている作品は、同じくミケランジェロ作の「瀕死の奴隷」という作品です。その後のシーンで、再び「眠れる奴隷」について語る時に登場します。

この像が制作されたのはダビデ像よりずっと後の1531年です。ミケランジェロはこのとき56歳。ローヴェル家(ユリウス2世)の依頼によるものでした。ミケランジェロとユリウス2世の衝突しながらも築かれていた奇妙な信頼関係は映画にもなっています。
完成したのは3年後の1534年。この間、ミケランジェロは立て続けに愛する家族を亡くし、自身も重い病を患います。

そんな境遇のなか製作され、荒木先生が「眠れる奴隷」の中で描いたのは一連の「奴隷シリーズ」6体のうちの1体「瀕死の奴隷」(『囚われ人』『多血質』というタイトルもある)です。
当時のフィレンツェでは「魂は天に属するものであり、つねに天へ昇ろうとしている」という「ネオプラトニズム」の思想が蔓延しており、ミケランジェロも類に漏れず影響を受けていたと言われています。
「奴隷シリーズ」のモチーフは、ユリウス2世の戦績をたたえ、捕虜の男たちとされており、「不自由」「束縛」「肉体という檻にとらわれた魂」というキーワードが浮かび上がってくる作品となっています。なんだか、ダビデ像のテーマと真逆ではないでしょうか。

荒木先生は何故「反抗する奴隷」のほうではなく「瀕死の奴隷」のほうを2回も描いたのでしょうか。この2体はともにルーブルにセットで展示されています。

紹介サイトにはこうあります。
『瀕死あるいは眠っているように見える奴隷』。ブチャラティの像が死んでいるので、「反抗の奴隷」ではなくこちらを描かれたのでしょうか。

ここで、ジョジョに立ち返ってジョルノとブチャラティの境遇を比較してみます。

ジョルノは、キャラクター紹介にもあるように「希望さえあれば、どんな場所にもたどり着けると決心している」キャラクターです。
原作でも、あれだけつらい過去を持ちながらも、彼が過去を振り返ることは1度もありませんでした。つねに、「このジョルノ・ジョバァーナには夢がある」と、未来しか見ておらず、目の前の敵を冷静に倒そうとする様子はまさにダビデ像のようです。
言い換えれば、ジョルノは彼の夢以外守るものを持っていません。家族には互いに情はなく、昔出会ったギャングもそばにおらず、友人・恋人も無く「一人が好きなんだ」と仲間さえ作らずなんのしがらみもなく生きてきました。
普通の人がとらわれる人間関係から、孤独と引き換えに彼は完全に自由なのです。ブチャラティと出会うまでは。

いっぽう、ブチャラティは「父から受け継いだ『やさしさ』が運命において弱点となった」と書かれています。もともと、父を守るためにギャングにならざるを得なかったブチャラティ。ギャングになってからは街の人々を守り、ジョルノと出会ってからは、仲間を守り、トリッシュを守り、12歳から(ひょっとしたら7歳から)彼は常に何かを守って生きてきました。
逆にいえば、それは「守るべき対象にとらわれている」ともいえます。まるで、家族の名誉と幸福や、依頼人との約束を守るために数々の名作を世に送り出してきたミケランジェロのように。ミケランジェロ本人も、弟子や友人に慕われたとてもいい人だったそうです。
荒木先生はそれを「やさしさ」と表現しましたが、ブチャラティ自身の基本的な性格が、「何かにとらわれずにはいられない」ものなのかもしれません。まさに、奴隷像のように鎖につながれているのです。

5部のエピローグのタイトルが「眠れる奴隷」なのは、こうしたブチャラティの境遇も関係しているのかもしれません。
「瀕死の奴隷」はたしかに、他の奴隷シリーズとおなじく肉体にとらわれています。
しかし他の像と違い、「瀕死の奴隷」だけは「死によって解放される魂の恍惚」をその表情から汲み取ることが出来ます。

ブチャラティは、ジョルノに出会ったあとも「ジョルノの夢」にとらわれています。彼自身が彼の思う正義のために行動することは出来ても、ジョルノのように「ギャングのボスになって麻薬を止める」という夢を抱いていたわけではないからです。
また、彼のスタンドの「スティッキィ・フィンガーズ」にもその一端が見えているように思います。ジッパーは、切り開くことも出来ますが一度開いた出口を閉じることも出来ます。
「自分を捕えている何かから解放されたい、でもそうするわけにはいかない」というブチャラティ自身の葛藤が現れているようにも見えます。

そういう意味では、彼は完全に自由ではありません。この「解放されているのかされていないのかわからない曖昧さ」があの「瀕死の奴隷」の描かれたコマの妙だなあと私は思います。

それでも、ジョルノに出会ってブチャラティは心が生き返り、幸福な気持ちで逝くことが出来ました。
まったく根本が正反対のジョルノに出会ったからこそ、はじめて「自分の思うように生きてもいいのだ」(※この場合は、彼の信じる正義のため)と目醒めることができたのではないでしょうか。それが、彼自身の魂の救済、「運命の奴隷を解き放つこと」だったのかもしれません。

なんだかこの流れからすると5部の側面として「ジョルノによるブチャラティの救済物語」みたいになってしまいますが、そういう一面も確かにあるのではないでしょうか。
5部の開始時にダビデ像が描かれ、エピローグに「瀕死の奴隷」が描かれているところも興味深いです。どっちもフィレンツェなのに笑
ちなみに、奴隷像6体のうち未完成の4体は、フィレンツェのアカデミア美術館でダビデ像の足下に展示されているそうです。

 

参考
・「図説ミケランジェロ」(河出書房新社)
・kotoba1月号『ヨーロッパ芸術のヌードを解体する』P118~(集英社)
・他参考wiki「フィレンツェ」「新プラトン主義」「ラオコーン」