20150423-1

522年前の今日は、アニキの主人であった「畠山政長」の命日であるということです。(正覚寺HPより)
「薬研藤四郎」の号の由来の逸話の人です。つまりは無銘だった藤四郎が「薬研藤四郎」として誕生した日でもありますがめでたくはないのでそういう史実があったかもしれない、ということだけ。
この逸話自体はとうらぶwikiとかにも散々載ってますので割愛ですが、元の書物がWebで読めるっていうからぐぐって探したら、245分の1の確率で「薬研貫いたよ」のページを最初に見つけてしまった自分の気持ち悪さも書いときますね!笑

この畠山政長(以下、政長さん)という人のことが知りたくて、色々調べてみたりしてました。歴史にほとんど興味がなかったので、いつの人でどこの人かというのも全く知らないひどい状態ではありましたが、知れば知るほど背景が興味深い人でした。

◆生い立ち
・足利将軍家に仕えている「三管領」(幕府のナンバー2)のうちの一つが畠山家。
・政長はここの正式な跡取り…ではなく、当時の畠山家当主であった「持国」が男子に恵まれず、甥の「持富」を養子にし、跡取りとした。その「持富」の子が政長さん。
・しかし、のちに持国の妾が男子を産む。その妾の子が「義就(よしなり)」。政長の宿命の敵になります。
・父の持富、兄の弥三郎が他界したので、「畠山家」の当主争いは自然とこの「義就」と政長さんの2人の対決になります。これが応仁の乱のきっかけ、ということらしいです。
・彼らは二つの陣営だけで争ったのではなく、それぞれが力のある第3者に頼り、その第三者同士が更に御家騒動などで揉めていたため、幕府を巻き込んだ争いに発展した。
・政長さんが亡くなったのは「明応の政変」。このとき義就の子を討伐中の戦真っ最中でしたが、味方と思われていた陣営が裏で敵と手を組んでいた!→からの、追いつめられて正覚寺で自刃

◆薬研藤四郎になる前のアニキの経歴
・元は足利家所有の吉光であった(らしい)
・何かの折りで畠山家に下賜された?
・渡辺妙子著「名刀と日本人」内では「家に代々伝えて来た」刀とされています。政長さんは河内畠山家4代目、ということになるのでざっと見積もって1300年頃から吉光が伝わっていたのでしょうか?

どうですかこの濃い経歴。あんまり本来の歴史に踏み込んでしまうと、刀剣乱舞から遠ざかりそうなのでほどほどにしておきたいところですが、政長さん、ただ戦って敗北したのではなく、どうやら彼は歴史の大きな流れの犠牲者となったという見方が出来るようなのです。
で、本題です。

私はずっと、薬研藤四郎の逸話を読んでから疑問に思っていることがありました。
1「自刃は武士の散り際の華、覚悟の見せ場であり、失敗や無様なマネは許されないはずなのに、何故阻止したのか」
2「その場にいた部下が『主人に切腹させたくなかったのだ』という解釈にしたのって、当時の武士というか現代の解釈に近いのでは?」

新渡戸稲造の「武士道」によると、腹部は人間の霊魂・愛情が宿るところだそうです。現代みたいに心臓や脳じゃないんですね。なので、そこをかっさばいて全てを見せる、というのが切腹の原理だとか。
アニキの台詞にも「太っ腹だなあ」や一騎打ちの「地鉄を見せろや」があります。後者にはそのまんまの意味のほかに、「本性を見せろ」という意味もあります。(武将・剣豪と日本刀より)なんだか深く感じられますね!

戦場育ち(本人談)で、出陣に「血がたぎる」と言っているあたり、武士の生き様というものはいやというほど見て来てなおかつそれに準じているように思えるのですが、そんなアニキが大事な主人の最期の散り際に自分が華を添えようと何故思わなかったのか。

自刃が、最期の華であることは勿論です。しかし、「自刃」にも名誉と不名誉なものが存在するようです。主に「何故自刃するのか」の理由に寄ってです。

・名誉な自刃:『やるだけやったんだからな』と未練残さず潔く散ることを選択した場合。
・不名誉な自刃:未練があっても自分の名誉のため、家を守るため、自分の命で購おうとする場合。

政長さんは、20年以上もの間、父と兄にかわって畠山の家督を継ぐために戦って来た人です。室町ファンの方のサイトによると、個人的にはまさにジョナサン・ジョースターのような気性の人という印象を受けますが、そんな政長さんだったからこそなのか、明応の政変の犠牲者となりました。つまりは、志半ばで死ぬことになってしまったのです。その自刃はおそらく後者に分類されます。

「主人を死なせたくない」という想いの裏には「主人を失う自分がかわいそう」というエゴがあります。
戦場育ちのアニキにそんな甘い考えはなさそうだし、本人も覚悟というものをいやってほど知ってると思われます。刀ですから。
アニキが、政長さんの自刃を止めようとした理由は、そんな感傷的なものではなく、「志半ばで死ぬべきじゃない、生きろ」と言いたかったんじゃないかと思います。だから、固い信念を象徴するかのような「鉄製の薬研」を貫いて見せたのではないかなって。

「柄まで通ったぞ!」という彼の会心の一撃の言葉は、主人に対しても自分に対しても覚悟を貫いてる、アニキの心の強さの現れだったら私が嬉しいです。だから私もアニキに叱咤されないような大将にならないとな!覚悟はいいか?オレはできてる!

今後公式で色々情報が開示されたらこの妄想もガシャーンされると思いますが、以上、かってな私の妄想でした。

ちなみに、室町ファンの方のサイト、というのはこちらです。神サイトです。
Muromachi通り

ものすごく室町時代をわかりやすく面白く解釈して下さっており、それぞれの時代に生きた武士の人となりを、古文で描かれた当時の日記などを読まれた上で紹介して下さっているという…教授か!?
こちらのサイトで、政長にゆかりのある花が牡丹と知ったのでアニキにも牡丹を持って頂きました。牡丹の句を詠んだのも539年前の今日だ。なんだかすごい偶然ですね。

2016.3月追記:この記事、沢山の方に読んで頂けているようでありがとうございます。
薬研と政長さん関連の記事に「畠山政長」タグをつけてみましたので、興味があるかたはこちらもどうぞ。言うまでもないですが記事はすべて一般向けです。
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